今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」
12月28日、いよいよ年の瀬である。
最近では職場の仕事も落ち着き、穏やかな日々が続いている。職場や取引先の方から「良いお年を」と挨拶をされることが多くなり、この時期ならではの風景に心が和む。小さな祈りの言葉が人から人へと連鎖していく様子を目にすると、日本特有の思いやりの文化を感じる。今年もそんな年末の空気を満喫している。
目次
2023~4こんな年だった
2023年 去年を振り返ると、ただ時間に流されるように日々を送っていたことに気付く。時間を概念としてではなく、ある決まった数字として認識して生きていた。仕事のタスクは尺度として何分で終わらせる、出勤の日はこれとこれを終わらせて退社するなど、等間隔で分断された時間の中で生きているという感覚だった。
そんな日々を変えたくて『一日一日をしっかり歩む』ことを意識したくて、今年2024年の頭に少しいい腕時計を買った。
何月何日なのか、何が起こる一日なのかを自覚しながら過ごし、毎日腕時計をつけることを習慣化させると、不思議とスマホを見る頻度が落ちた。これまでスマホでさらっと時間を確認し、そのままSNSを読み漁るという流れがあったし、スマホで時間も確認できるし時計なんて必要ないと思っていたが、それが結果、今年を一日一日をしっかり歩み進めた年として過ごすことが出来たのだと思う。
一年で自由にできる時間は?
「時は金なり」というが、あまり実感なんて湧かない。だから一つ算数をする。
一年は365日ある、それは8760時間で、それは525600分で、それは31536000秒だ。
そこから一日7時間寝て、三食30分で食べ、勤務を月20日で一日8時間で休憩1時間し通勤往復1時間、一日30分お風呂に入ったら。
残りは2950時間。それは177000分で、10620000秒だ。
だから一日一日はとても貴重なのだ。なにもせずまったり日もあっていいとは思うが、それは例えるなら束の間の休息であって本質的なものではないし、自分が今一年のどこに存在しているのかを分からずに進んでいると、いつの間にか灰になるだろう。
2024ベストバイ
良いものでなくても構わない。デジタルでもアナログでも、電池式でも自動巻きでも、自分に合った腕時計を身につけることで、ふとした瞬間に時の流れを感じられるようになる。時計の針が刻む一瞬をじっと目にするたびに、地に足のついた感覚を得られる。
そんな腕時計の存在が、私にとって一日一日をしっかりと生きるための心強い相棒になり、今年のベストバイだった。
2025こんな年にしたい
既述の通り、私は時間を重んじてきた1年を過ごした。しかしそれは狭く日時という概念であったと思う。1日は365日あるというのに、全体を見通して過ごすことは最後までできなかった。だから2025年は時間を重んじつつ、もう少し広く1か月ごとで見ていきたい。来月はこうしたいとか、どこに旅行したいとか、会社の月次決算のように予実を立てて進めていきたい。まだ詳細に目標は立てられていないが、とりあえず1月は自分と向き合って2025年の目標を練っていく月にする。
まとめ
昨今では高校生を中心とした若者に「タイパ」という言葉が流行っていた。時間を持て余す若者でさえも、その時間をいかに効率よく充実したものに出来るのかを考えるようになってきたのだ。僕はこれに大いに賛成だ。生産性が高いに越したことはない。
しかしゆったりした時間ももちろん大好きだ。せかせか生きるのは疲れる。だからゆったりする内容を濃くしよう、休みが終わるときに「今日は何もしなかった」と嘆かないように、自信をもって一日を終えられるように。
年を振り返りつつ、来年はさらに充実した日々を過ごしたいと思う。時計が刻む時間が、あなたにとっても新たな気付きや生き方をもたらすことを願って筆を置く。