僕には8歳年の離れた弟がいる。この弟が生まれた時の話を、少し振り返ろうと思う。
小学生に上がった頃、同級生と兄弟姉妹の話をすることが多く、僕はずっと兄弟が欲しいと言っていた。子供心に「家族が増えたら楽しそう」と無邪気に思っていたのだろう。しかし現実はそんなに簡単ではなかった。
子宮外妊娠という形で生命を授かった。幼い僕にも理解できるよう、両親は丁寧に悲しい表情で説明してくれた。その瞬間のことは今でも覚えている。
兄として生まれなかった命を「かわいそう」と思ったことは一度もない。彼もしくは彼女も、両親も、その時できる最善を尽くしたと信じているから。ただし、悲しいという気持ちは当時も今も変わらない。
子宮外妊娠の手術後は妊娠の可能性が下がる。
それでも数年後、母は生命を授かった。両親の喜びを見て、当時の僕も嬉しいと思った。今になって考えれば、それがどれだけすごいことだったのか痛感する。
生まれてきた弟は、僕から見れば奇跡そのものだ。その奇跡の誕生を祝いに、遠方に住んでいた祖母まで駆けつけてくれたのを覚えている。おばあちゃんっ子だった僕は、それだけで心底嬉しいことだった。
その弟が今では趣味が「勉強」という未知の領域に足を踏み入れている。将来は医者になりたいと言い出したのだ。
弟がどうしてそんな目標を持ったのか、真意は本人にしかわからない。ただ、もしかしたら彼もまた、生まれることができなかった命の存在をどこかで感じているのかもしれない。